裏町ものがたり

松本・昭和の昔語り

第4章:花いちもんめ・その2


花いちもんめは、前節でも述べた共同井戸端の狭い空地でよくやったようだ。昭和の初めは各戸にポンプ井戸があり、裏町でも水道は一戸建ての家にはそれぞれ敷設されていただろう(大正十二年に市の給水は開始)。この大きな共同井戸が残されたのは、明治四十五年下横田正行寺のあたりから出火、北部の町並を大半焼き尽くした大火の恐怖が、水利の大切さを町民に教えたからだと思う。町内の女衆の社交場にもなったが、大半は女の子たちの遊び場であった。

みそっかすの私は、尊敬するミヨちゃんや、色白でひ弱そうな中田紙店の敏子ちゃんと手を繋いで、自分に判るところだけ大声で歌っていた。指名されてジャンケンに負け、相手の組に取られると少し悲しかった。ミヨちゃんにいつもくっついていたかったし、お金持ちのお嬢さんと思っていた敏子ちゃんに好奇心があったのかもしれない。中田さんの大きな間口の紙店は、私の家の筋向いにあった。その前で遊んでいたときお店から呼ばれ、中の土間で優しくきれいな女の人から動物の形を抜いたビスケットを貰った記憶がある。敏子ちゃんのお姉さんだったのかもしれない。老後になると、幼時のことは皆美しく思い返されるものだが、花いちもんめの遊びは、男女別学の厳しかった戦前に幼年期を過ごした者なら、誰でも特別な懐かしさを甦らせるものではあるまいか。

軽井沢に住む推理小説家内田康夫氏の『紅藍くれないのひと殺人事件』は、「花いちもんめ」の思い出をモチーフにした作品である。三十五年の刑期を終えて出獄した男の、そこはかとない郷愁を託した「はないちもんめ」のメッセージが、偽証の復讐に脅える人々に巻き起こす事件を描いたものだと覚えている。確か初めの章のタイトルが、「ふるさと『求めて』花いちもんめ(『』は筆者)」とあったように思うけれど、ずっと以前に読んだのではっきりしない。メッセージを発信した刑余の男は、過去の懐かしさ故の衝動から「はないちもんめ」と書き、それを巧みに利用した真犯人から消されてしまう、というような筋だったかも。山形の紅花べにばな紅藍花こうらんかの別名を持ち、化粧の紅の原料となる)で産を成した一族の利害関係を、例の浅見探偵が解き明かすはなしだった。

ただし、山形あたりの童うたでは、「花いちもんめ」の歌詞が「ふるさと『まとめて』」となる。山形県内のどこだったか、「花たばまとめて」というのもあった。「ふるさとまとめて」型のうた詞ことばは、外に埼玉、福島、東京に多く、この遊びの源流といわれる京都では、子買い遊びの一種になっていて、歌詞は「ふるさと『求めて』」である。東京旧市内に恐らく京から伝わった子もらい遊びが、 本来の「求めて」から訛って、「まとめて」に変わった場所もあったのだろう。勝手な想像をすれば、地方から買われ攫われて来た子どもたちのふるさとを慕う心情が、おのずと唄に滲み出たものかも知れぬ。いくら慕ってもそれは適わぬこと、花一匁に等しい哀れな子どもたちの願いは、都を吹き荒れる風に軽々と吹き飛ばされてしまう。それでも「ふるさと求めて花一匁、もんめもんめ」と歌わずにはいられなかった。内田氏の小説に触発され、私はそんな空想に耽ったのだ。


第5章👉「三絃稲荷の折詰」