裏町ものがたり

松本・昭和の昔語り

第3章:足がっこ


男の子の遊びが続いたので、女の子主体の童遊びを書こう。とはいっても全国各地では男女共通の遊びであろうが、ここ裏まちでの私の幼い記憶を辿れば、「足がっこ」には女の子の影が散らつくのである。

色どり豊かな着物の脚が、路地に書かれた梯子のような細長い形を、線を踏まぬように片足飛びをしながら投げた石を拾って返ってくる。パッパッと飛び上がるたびに翻る赤や黄や緑の裏地が、幼い私には眩しく奇麗に見えたものだ。こう書けば、大方の読者は、何だこれはケンケンじゃないか、と思われることだろう。

実は、「足がっこ」と覚えているのは、私が松本育ちだからで、この呼称は島根や足柄など全国では少数派、北は岩手から南は鹿児島まで、総て「けんけん」又は「けんけん飛び」となっているようだ。松本と似た言い方は、三重県阿山に「足がえり」というのがあるけれど。

この言葉で判るように、方形で(地方によっては丸形を繋いだものもある)梯子状に地面に書いたその区画の中へ、平で薄い三センチくらいの小石を投げて入れる。うまく入ったら、片足飛びでケンケンパッと飛ぶのだ。パッと書いたのは、スタートからゴールまで片足飛びでは疲れるので、二区画飛んで両足を休めるために方形を横に二つ並べるのだ。参考に描いた遊びの絵をみてほしい。

よその地方では行きっ放しで、ゴールまで行って終わりというのもあるが、私たちのは、描いた図形の先端に半円を描き、「天下」と書いてそこで両足を揃え、ゆっくりとケンケンパで帰ってきた。距離が遠くなると石が入らなかったり、拾い損なって線を踏んでアウトになったり、小さい子には難儀なことであった。アウトになればお次と交替する。

この遊びでは、いつも鍛冶屋の子のミヨちゃんが断然トップだった。三つ、四つの私は、みそっかすとして入れて貰い、時々ミヨちゃんが代わって投げてくれて天下様になった。

偶然を除いて、はじめから「天下」の半円に石を入れるのは無理だから、両足を付いてもよい区域の次の方形を狙う。そして更に先を狙って、「天下」に入れば勝、あとは石を拾って胸を張ってケンケンパ。

いつも足がっこをやっていた共同井戸端の流れに、少し大きく板で囲った洗い場があった。大根やお菜を洗うとき、少し大きな洗濯物を扱うときに使ったらしい。かなり深くなっていて、私が三つのときと思うが女の子たちが片足飛びをするのを真似て、洗い場の近くで遊んでいた。石につまづいたのか、よろけて頭から水に落ちた。すぐ気づいて走って来たのはミヨちゃん。びしょ濡れで泣き喚く私を父親の鍛冶場へ連れていき、裸にしてふいごの傍のおきの前で体を拭いてくれた。多分、寒い季節だったのだろう。私の母が駆けつけて裸の尻を叩かれたのを覚えている。

いつも足がっこをやっていた共同井戸端の流れに、少し大きく板で囲った洗い場があった。大根やお菜を洗うとき、少し大きな洗濯物を扱うときに使ったらしい。かなり深くなっていて、私が三つのときと思うが女の子たちが片足飛びをするのを真似て、洗い場の近くで遊んでいた。石につまづいたのか、よろけて頭から水に落ちた。すぐ気づいて走って来たのはミヨちゃん。びしょ濡れで泣き喚く私を父親の鍛冶場へ連れていき、裸にしてふいごの傍のおきの前で体を拭いてくれた。多分、寒い季節だったのだろう。私の母が駆けつけて裸の尻を叩かれたのを覚えている。

生きていればミヨちゃんはもう八十を疾うに過ぎていよう。これも懐かしい人である。


第4章👉「花いちもんめ その1」