「美しい絵」と現場の感性



坪庭改修のためのイメージパース図

このところ庭の名刺も配っていないので、ほとんど自分の仕事はしていない「庭作り」。
それでもぽつぽつと入るパース画の注文のおかげで、細々と造園業と繋がっている私・・・
そんな私の造園のポジション=仕事は、施主とお得意さま(作庭師)の間の意思疎通を図る「通訳」のようなもの、と思っています。
もちろん、「通訳」などを必要としない場合が殆どでしょうし、総てにおいてそんな庭作りができれば理想的だ、と思うのですが。

さて、庭の見積りに完成予想図の絵をつける、というのは作庭師さんもむかしからやってきたことですが、最近の「絵」はどうも本来の目的から外れているように思えます。
…とは言え私も多くのそんな絵を描いてきましたし、施主がそういった絵を求める傾向もあります。そのためか、「美しい絵」を看板にする業者も少なくありません。

業者が施主に提案する「絵」はあくまでも双方のイメージ違いを避けるためのものでよいと思っています。施主の意向を汲み、心を込めて庭を作ろうとしている人の描いた絵なら、それはどんな筆使いでも「想い」がこもっているはず。その「想い」は見る人に伝わるでしょう。

けれど、予想図である「絵」をより美しく、より正確に描こうとすることや、また施主の意向が変わるたび簡単に何度も描きなおしてしまうことに、私は意味を感じることができません。
初めて造園業というものに係わって、夢中になってそんな「絵」を描いていた頃は思いもしなかったそんなことを、このごろ私は考えるようになりました。

実際のところ「庭」とは、土を耕し、水を引き、石を並べ、木を植える人が造り出すものでしょうし、プロとしてそれを請け負うならば、それらひとつひとつに対する知識や経験は無くてはならないものでしょう。
けれど、庭づくりに関わる作り手全てに必要なことで、「庭造り」を左右するものとは、庭とそこに集う人たちに対する思いやりはもちろん、現場に立った時にひとつの石、一本の木、一本の草に対して発揮される「感性」ではないでしょうか。
見積りと共に渡される立面図がどんなに美しく描かれた「庭の絵」でも、そこからは、そんな「大切なもの」は見えてきません。


新樹造園(富山県南砺市)の作庭, 苔の中の伝い

また、絵は作庭師を前提として描かれるべきではないかと思っています。作庭師が替われば絵も変わる筈だからです。

そして設計士やプランナーは、図面を絶対視せず、現場が活き活きと動いてゆくような目には見えない「間」を絵に取り入れるべきなのではないでしょうか。絵には見えない「間」にこそ、作庭師の「感性」が入り込む余地が生まれると思います。
完成が近づくにつれて表れ、確かになってゆく庭の表情…そんな意外性も庭作りの醍醐味のひとつだと思います。


新樹造園(富山県南砺市)の作庭, 三和土とタイルの収まり

一方、今の時代は昔ながらの延段や石積みなどを、作庭に取り入れられることが少なくなりました。建築のスタイルも変化して屋根も和瓦から洋瓦に変わり、仕立物の松よりも、最初から形の整った洋種のヒバやサワラが似合う家が多くなりました。昔ながらの技法を学びたくても機会がない、そんな若い方の声も聞こえてきます。

職人技と言われる石組みや敷石の技法は、確かにそんな現場が無くては学ぶこと難しいかもしれません。
それでも、山や川を歩き、岩肌に張り付く松やカエデを見上げ、渓流の苔むした石に触れたり、または各地の庭園、個人のお庭を訪ねるなどして、自分の感性を研ぎ澄ませることはできるのではないでしょうか。
石組みはもちろん、木を一本植えてその足元に草花をあしらうだけでも、その時の作り手の感性が問われるのだと思います。

とは言っても年を追うごとに、ますます造園業の経営は厳しさを増しているようです。
世の中の品物は殆どが規格化され、安くて手軽なものがどこでも簡単に手に入ります。庭造りの材料でさえ…そして「感性」では食えぬとばかり、どの業界も皆日々の糧を追うことに精一杯、自分さえよければ隣はどうでも…という人間も少なくありません。

この先、庭を作るべき「地面」はどうなるのでしょう。「土」の上は舗装され、先祖代々の木は切られ管理の仕事も減るでしょう。作ることのできる場所は「壁」か「屋上」か…。
そんな世の中を、悲しいと思うのは私だけでしょうか。


石畳とユウガギク

そんな私の気持ちを少し、明るくしてくれた話がありました。
今、作り手の「顔」の見える商品(仕事)を求める人たちが増えてきている、というニュースです。そう言われてみれば確かに、地産地消、産直がもてはやされ、各地の道の駅で名前入りの製品が売られていたりと、大量販売の安価なものを求める風潮が(少しずつですが)変わってきているように思うのです。
それが一時の流行でないのなら、これからは施主の理解が深まって、庭の世界にも「現場の感性」が今以上に求められる時代が来るかもしれません。

そしてそれを裏付けるように、各地ではとっても魅力的な作庭師たちが頑張っています。
そんな方々の声がもっと広く、もっと遠くまで届き、それが業種という枠を超えてこれからの世の中に夢を与えてくれることを願わずにはいられません。

さて、私はと言うと現場で学ばなければ成長も無いわけで、年に一度ペースの庭造りの話が来るたびに「よく(依頼が)来たな」と思い、その現場が終わるたびに「これが最後かな」と思い、しかも今回のテーマは自分の首を絞めているようなもんだな…と思い…ますます「造園業」への感慨は、深まってゆくのです。


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