「木と布・工房のどか」創作キルト工芸、和古布保存研究 徳嵩よし江さん


テキスト

ある日見るともなく見ていたテレビの中に、深い藍色の、一面の海が広がっていました。
それは日本の古い布を細く細く裁ち、その小さな小さな一片を数百も繋いで山波の景色を生きいきと描いた大きな絵タペストリーでした。
古布だけで作られたさまざまな風景。その色はまさに春の小川の色、夏の蛍の色、秋の実りの色、冬の雪の色なのです。
郷愁を誘う古布で描かれた絵は、同時に私に何かを強く訴えかけてきます。得体の知れない大きな作品の力が画面の向こうからこちらに迫ってきて、背中がざわつきます。

「日本人が大切にしてきたもの、それが古い和の布にはたくさん詰っている。それを誰もが受け入れられる形にして、もう一度その時を留め置きたい。その素晴らしさを伝えたい」
そうテレビで語っていた女性が徳嵩よし江さんでした。

テキスト
本市四賀の保福寺(ほふくじ)通り付近から見た北アルプスの眺望。イギリスの宣教師W・ウェストンは著書「Mountaineering and Exploration of the Japanese Alps」の中で保福寺峠から見た絶景を「高貴な峰々」と記しています。

「木と布・工房のどか」は、松本市四賀(旧四賀村)の板場バス停近くにあります。
周囲を山々に囲まれた緑豊かな四賀は、かつて善光寺街道、江戸道などと言った主要な街道が通り、宿場町で栄えた歴史ある地区です。
テレビの中だけで終わるはずだった徳嵩さんへの縁を繋いでくれたのは、不思議なことにその時既に亡くなっていた私の叔父でした。
大好きだった叔父が遺した、彼のふるさと安曇野を描いた自費出版の絵本。私はその大量の本を大阪の従姉妹から引き取り、彼女に変わって寄贈の代行活動をしていました。
そんな折、叔父のその本を人づてに手にされた徳嵩さんから、とても丁寧なお礼のお手紙を届いたのです。
不思議な縁を感じて驚いた私は、そのお手紙をきっかけに徳嵩さんの工房を訪ね、お話を伺ったのでした。

テキスト
蔵の二階へ上がる踊り場の壁にかけられた象形文字のタペストリー

木工作家であるご主人・治さんの作品と、よし江さんの作品が展示されている建物は趣のある蔵づくり。取り囲む敷地の庭は治さんの手によって古い石が敷かれ、山野の草たちが四季折々に花を咲かせまていました。

テキスト

工房では、時と共に失われようとしていた古い布たちが、徳嵩さんの手によって今に命を繋いでいます。
布たちのこれ以上の劣化をできる限り遅らせるために建てられたと言う蔵の中の照明は薄暗く、しんと止まった空間がよりいっそう布たちの表情を際だたせます。

テキスト

作品の前に佇み、静かに向かい合っていると、数百、数万のかつて誰かの体を包んでいた布たちのひときれひときれが私に何かを語りかけてくるようです。

テキスト

蔵の壁には様々な里山の情景を描いたタペストリーが飾られています。
それらの徳嵩さんの作品はどれも懐かしく、やさしく、楽しく、けれどもどこかもの悲しいのです。

テキスト

蔵の中には治さんの作った椅子が置かれ、やさしい丸みのあるどっしりとした椅子は私のちょっと緊張した気持ちを和らげてくれました。

何度目かの訪問に誘った業界の大先輩女史、E子さんと話し込む徳嵩さん。
徳嵩さんの話題は布にとどまらず教育現場、そして政治まで飛び出して尽きることがありません。一片の布をとおして遥か戦前から日本の時代を見つめてきた徳嵩さんは、この国の未来をも見通しているようです。
「今ね、針を持てない子供たちがほとんどなの。ほんとよ。学校の問題だけじゃないの、家庭でも針を持つ機会がないのよ。これは大変なことなの」
おじいさん、おばあさんの時代、大切に大切に繰り回されてきた布。さまざまなものが大量に生産され消費され捨てられていく今の日本。変わり行く日本人の心と価値基準に、徳嵩さんはずっと危機感を持ち続けています。
そして自ら針を持ち、その「日本人のしごと」を若い世代に、そして子供達に伝え、繋げようと奔走されています。

テキスト
能の面(おもて)を収納する「しまい袋」

徳嵩さんは海外にもその活動を広げています。こちらの作品は、日・豪・ニュージーランド協会がニュージーランドに能の面(おもて)を寄贈した折にも使われた「しまい袋」です。
表地は兜の柄が織り込まれた女ものの帯。面をしまって紐を結ぶと兜の柄が出るように仕立てられた手の込んだ物で、裏地はふんわりとすべらかな極上の手触りの絹が使われています。
「主(あるじ)が戦場に行くとき、見送る妻が締めたのじゃないかしら。戦場へ供することはできないけれど、一緒に戦います、そんな想いで」柄をなでながら徳嵩さんは説明してくださいました。

テキスト

徳嵩さんはほんの小さな切れ端も捨てずに、美しい形のビンに詰めて飾っています。
「良いものはどう飾っても美しいでしょ」
私達が忘れ去ろうとしている心が、このビンの中に詰っているようです。

テキスト

徳嵩さんはご自身の作品を集めた3冊の写真集の他に、「信州の布 これまでとこれからと」(信濃毎日新聞社)という本も執筆されています。
「布はどうしても劣化してしまうから、写真に撮って記録するの。」
長い年月をかけ、ご自身が蒐集・保存してこられた戦前からの着物や生地の写真は、その質感や細かなほつれや泥の滲みまでも映し出され、写真の横には短い言葉が添えられています。

テキスト

きれいごとでない、けれどやさしいその一文を読むと、その布たちがかつて人にまとわれていた時の情景が浮かんできます。

『ファッションということばからは 程遠い 粗末な木綿の衣服から にじみ出るのは 貧しさとか因習の重さ かもしれないね。
でも その向こうには 感謝とか 祈るという 今 忘れかけているものが みえるよね。』
北信で採録された、戦前の職人用の前掛けの写真に添えられた言葉です。

テキスト

そしてこれは、南信で採録された女児のための「百軒衣装」。
じっとこの着物を見つめていると、幼子の成長を願って一軒一軒、必死に布切れを集めて回る母親の姿が重なって見えます。それは母親の情愛なのか、はたまた「因習の重さ」からなのか…現代を生きる私にとって、深く考えさせられる衣装の写真です。

テキスト
名刺入れ、ポストカード入れ、祝儀袋と応用が自在で作り方も簡単な「カード入れ」


そしてこの本の後半には、ありとあらゆる「古布のお繰りまわし」のアイディアが丁寧な図解と型紙付きで紹介されています。
針も糸も使わずボンドとアイロンで仕立てるカード入れから本格的な着物からドレスへのリメイクまでが掲載され、徳嵩さんの「古い布たちを捨てず、今に生かして欲しい」と言う徳嵩さんのお気持ちが伝わってきます。

テキスト
古い着物をリメイクしたフォーマル着

この日、本に掲載されていたリメイクのフォーマル着が展示されていました。
黒地に白梅、墨流しの雲の柄がモダンな「コート下」は、礼装用きものと長襦袢を繰りまわしたリバーシブルになっています。

テキスト

大きな甕が入ったモダンな袋は「思い出袋」として『信州の布』で作り方が紹介されています。
思い出袋は、盃、野球ボールのような小さなものからワインや一升瓶など、基本からさまざまなものに応用できるそうです。甕の置かれたサイドテーブルはもちろん、治さんの作品です。

代が変われば思い出されることも、振り向かれることもなく、ひっそりと箪笥の奥や押入れの行李の中で眠り続けていた布たち。
長い年月をそんな布と共に過ごし、その声に耳を傾け続けてきたよし江さんの語る言葉は、ひとつひとつが心に染み入ります。

テキスト

『ひたすら
祈るしかなかった
あの頃……。
汗も涙も吸い取って
洗われて
陽にさらされて
それでも
もめんの唄は
おおらかでしたね。
のびやかでしたね。』
(徳嵩よし江作品集・ひとときの風のなかで2「信州賛歌」)


※工房内の写真撮影は原則としてできません。今回は徳嵩さんの許可をいただいた作品のみ撮影させていただきました。

「木と布・工房のどか」松本市板場103-3(松本市四賀地区板場バス停前)0263-64-1030(18:00以降)TEL.FAX共

木と布・工房のどか~工房展~(ハレホレ四賀・イベント情報)


Blog : The・仕事びと index