インターネットと掲示板
2007.06.07 Thursday
インターネットがあたりまえの世の中になってきた。
クリックひとつで様々な情報が手に入り、無数の話題を様々な人たちが提供していて、誰もが簡単にその話題の中心に入って行くことが出来る。
そんな『掲示板』が、私は苦手だった。

最近好むと好まざるにかかわらず、インターネット上でのおつきあいが増えてきて、私もこの掲示板に顔を出すようになった。
…書き込みをするようになった、というべきか。
そしてこの『掲示板』というものについて、最近特に色々考えさせられてしまっている。
すべてがそうだとは言わないが、首をかしげてしまうような発言を最近、頻繁に目にするようになったからだ。

真剣な話題や問題意識など、一見まっとうに見える話をしているように見えるが、それがいつの間にか、どう考えても他者への思いやりのかけらもない、ただの『陰口』としか映らない会話にとって変わっているように私には見えるからだ。
例えば当事者しか知らない「事情」は伏せられたまま一方的な判断の考えを「公表」されたり、インターネットという虚構の、また不安定で玉石混合な「情報」から得た印象で感情に任せて書かれたりする。
そして発言のテーマが真面目なものであればあるほど、それは一見、『真実味』を帯びて読む側の目に映る。

人間の考え方は本当にそれぞれだし、まったく同じ経験、同じ育ち方をしてきた人などいない。
たとえどんなに親しくしたとしても、完全に理解し共感しあうということは不可能とは言わないまでも、とても難しい。
相手を理解しようとしないまま、自分の主観で判断してあまつさえ人間性まで決め付け、そして開かれた場所で相手が特定できるようにその人物の話をする。
そんな『書き込み』を私は実際に、何度も目にしてきた。

そしてそれを思慮の浅い人が目にしたならば、どうなるだろうか。
そこに掲示板の恐ろしさがある。
そんな「うわさ話」は私から見ると明らかに陰口であり、自らの主観だけで相手の人格を決め付けた上での『間違った情報』だ。
しかもその陰口は、一方的な主観で書かれたまま、星の数ほどいる閲覧者にさらされる。

子供に言うようなあたりまえのこと、決め付けないこと、相手を思いやること、相手を傷つけないこと。
掲示板上でそんな発言を繰り返す人たちは、それを忘れているのではないだろうか。
そして子供から常に見られている、大人としての責任感は持ち合わせていないのだろうか。
その日の気分で気軽に、簡単に書き込みができる『掲示板』だからこそ、もっと真剣に、深くその意味を考えなければならないのではないだろうか。

だから、相変わらず私は掲示板が苦手だ。
ただ、いつもほんわかとして、楽しい雰囲気の掲示板もあって、そこには自然と顔を出したくなる。

でもやっぱり、永遠に苦手なんだろうな。
デジタル全盛の世の中だけど、こんなことを真剣に考えこんでしまう私は、融通が利かず頭の固い『アナログ人間』なのかもしれない。
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