親孝行、って40ン年間、一度もしたことのない私。
親不孝なら、それは数え切れないほど繰り返してきたけれど…
…孝行をしたいときには親はなし。という諺を最近ふとした拍子に思い浮かべてしまう、相変わらず親不孝な私。
そんな私が意を決して、齢八十に限りなく近づかんとする父を2シーターの愛車の助手席に乗せて、信州の南端を目指して二泊三日の旅に出た。
目的地は、南信州の遠山郷、そして長野県と静岡県の県境・青崩(あおくずれ)峠。
さてこれまでにしたこともないことを突然すると、大雨が降るとか言うけれども、高速道路から見上げる目的地上空はさわやかに晴れ、雨雲を招かなかった南アルプスに感謝する。
まだ免許は返上してはいないものの、目や足腰が衰えて遠出が出来なくなった父。最近私が通っている「遠山郷」にはかれこれ、20年前に旅したことがあるそうな。
狭く曲がりくねった山道に不安を感じながらの旅行だったらしい。今では10年ほど前に開通した矢筈トンネルのおかげで、松本から2時間半ほどで上村に入ってしまう。
私の遠山行きは係わった地域おこしプロジェクトの広報取材やら会議やらで、今回で三回目だろうか?
え〜と、記憶が定かではないが、それだけ来ていればさぞやあちこち回れていそうなものの、何故か記憶に残る場所といえば遠山川(案内人が釣り人だから致し方無い・笑)、それも一部分のみ。
あそこもここも…と寄ってみたい「興味しんしんポイント」を恨めしげな横目で見ながら、毎度バタバタと帰途に付いていた私。
今回こそは、おのぼりさん(??)要チェックポイントを網羅するぞ。
と言う事で早速、上村の文化伝承を学ぶために伝承館へ。
本の虫で館内のお面がレプリカであることを知っている父は、いまひとつノリが悪かったのだが、敷地内の古民家「ねぎや」を見るなり
「おおっ、これは20年前に泊まった下栗の宿とよく似てるぞ」と興味津々。 |
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そして伝承館の中を、館長さんの話を伺いつつ二人でじっくりと見て歩く。
「写真は撮ってもよろしいでしょうか?」と了解を得てから、かたっぱしから撮る私。
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古いもの、そして実際に手を触れ使われてきたものが私は好きだ。
ガラスケースに入っていない所がまた良い。 |
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山ばっかりのジオラマだって面白い。よくぞこの険しい山中に集落がこれだけ発展したものである。古くから物流に、戦国時代は進軍にと、ここ秋葉街道は交通の要だったのだ。
今日の宿は静岡へ向かうその秋葉街道沿い、長野県の最南端に近い八重河内だ。
上町の町筋は明るく、けれどひっそりとしている。 |
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「せっかくだから下栗、登ってみよう」
父の目的はひとつだけ、青崩峠を歩くことのみ。今日の宿は八重河内なので、峠歩きは明日の朝にしてある。
宿に入るまで、時間はたっぷり。
という訳で看板にしたがって左折、「下栗の里」へ。
途中寄り道をしながら、山道を登る。 |
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幾度か通ったが、軽自動車でも狭く感じるこの急勾配・急カーブの九十九折れ。歩いた方が早いんではないか…という「下栗速度」で車を走らせ、その車を避けて道に立ち止まるおばあさんに「あ、どうもすみません、こんにちは」とオバサンと爺は頭を下げながらゆっくりと登ってゆく。
下栗集落の九十九折れは今はかなり有名で、あちこちのHPやガイドブック、観光パンフレットにも、そして全国版の地図にも「日本のチロル」などと紹介されている。・・・「日本の下栗」で良いじゃないか(笑)
いまここでその急斜度と見おろす真下の遠山川の遠さ、目線にある霧が立つ重なる山々、そしてその向こうの南アルプス… を説明するまでもないが、この空気、この景色の特異さはやはりこの場所に立ってみないとわからない。
シーズン前でまだ営業していない「ばんば亭」の駐車場に車を入れて、よくガイドブックに出てくる撮影ポイント・「斜面に立つ空き家と南アルプス」を撮影。 |
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ここ下栗も、奥に発電所が出来たとき道も舗装されてだいぶ良くなったそうだ。家々の間には、ちょうど下栗名物・「二度芋」の植え付けが始まったであろう急斜面の畑が点在している。
立って鍬を振るうのもしんどそうだな、と感心しながら早春の下栗の風景を父と無言で眺める。
父の反応を見ていると、20年前と比べても集落の雰囲気はあまり変わっていないようだ。
当時泊まったと言う宿は今は閉じられてしまったらしいが、探そうとしても父の記憶が古すぎて、
場所がわからない。
しばらく景色を眺めながらのんびり休憩して、下栗を下る。
せっかくだから遠山川も見てもらおう。
「ちょっと、行ける所まで行ってみようか。心配ならすぐに戻るから」
行ける所と言えば南アルプスの登山口、聖光小屋までは車で行けるのだが、この道、そのまんま石槍や石ナイフになりそうな、とんがった落石がけっこう多いのである。
道の上にあるということはあたりまえだが上から落ちて来た、と言うことで、車の窓を半分ほど開け(全開はなんとなく怖いから)、落石の前触れの音を聞く覚悟を決めて走らねばならない。
…とカッコ良いことを心の中で言ってみたところで、実はオバサンと爺の二人連れでは、なんとも心もとないからなのである。
と、そんなことを考え内心冷や汗をかきながらも車は落石を避けつつ奥へと進む。
やっぱり、道にはけっこう…と言うのか普通に…と言うのか、落石がある。
そこで覚悟を決めて…じゃない、あっさり諦めてコスマ橋でUターンすることに。
せっかくだから川を覗いていこう。ん〜、水の色はまだ冬の色だけど、良い川だな。
前回の来遠では川などじっくりと見たことのないであろう父、じっと見下ろしている。 |
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落石が多いとは言え、この道は立派な舗装路だ。発電のためのダムが作られたときに整備された道…ダムができれば当然景観も河川環境もがらりと変わるが、そのおかげにこうして私のようなものでもここまで入ることが出来る。
景色を堪能し、道中また寄り道をする。 |
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父が、ノートになにやら書いている。
『落石に命縮めど水清し 晴れやかに神の山見ゆる彼岸かな』 |
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川沿いに数件の集落が寄り添う所へ車を向ける。
この奥深い山中にこんなに広い川幅で流れる遠山川。 |
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今日もきらきらと、川面に日の光が遊んでいる。
山肌にはぽつぽつと、スミレが咲きだしていた。
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記録に残っている限りでも3百年あまり以前から氾濫を繰り返して来た遠山川には、遠く寛政の昔から治水・砂防工事の歴史がある。
今も次々と作られ、計画が進められる砂防ダムは、遠山地域が生きて行くための重要な産業ともなっている。
遠山川には今三つの電力ダムがあり、作られた電力は遠い街へと送られる。
ダムの建設に伴い激変したであろうこの山と川の景観、その建設のため過酷な労力の殆どを担った戦中日本の統治下にあった人たちの言葉にならなかった叫び、それらを全部呑みこんで今も川は流れている。
「さあ、行くぞ。」と父の声で現実に引き戻される。…なんだかおなかがすいたなあ、と思ったらもうお昼じゃん。
さあ、お昼ご飯には和田の町で蕎麦でもやっつけよう、さて次はどこに行こうか?そうだ、小嵐神社なんてどう?木沢の集落の人たちが守っているんだってよ。山の上にあるんだって、赤い鳥居がいっぱいあって…え?喋ってないで運転に集中しろ?
…ハイハイ。では長くなったことだし、今回は、次へ続く。
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