烏川渓谷を歩く

2006.11.04 Saturday
馬場先生の講座を聞きに行ってから、5ヶ月振りの烏川。
川に係わるあるプロジェクトで知り合った飯田の友人と一緒だ。彼とは今日が初対面である。
講座のときは山沿いを歩いたが、今回は同行者がいてしかも釣人とくれば、川が無いとつまらないだろうしと川沿いをちょこっと歩く。
昔よくこの川に釣りに通ったという友人は、立派な吊り橋や管理棟ができた今の烏川の変わりようになんだか感慨深げである。
常念の登山口へ続くこの道沿いには、ちょっと横に入ると人があまり来ない渓流があったりするので、山を見に良く来た場所だ。
そんな比較的静かな場所だったこの緑地の反対側に、数年前に国営の「アルプスあずみの公園」が完成した。
ここ烏川緑地はまだ小さかったムスメと保育園の友達を連れて、昔散歩に来たっけ。
中途半端なビオトープなんてのが当時はあって、確か釣堀もあったような気がする。
去年は春一番に咲くイチゲが見たくて、熊笹を掻き分けて入って行ってダニに食いつかれたり、…
今年は道が崩れて車が入れず、見にいけなかったなぁ。
今は釣堀もなくなって、ビオトープらしきものもなかった…ような気がする。
新しくできた国営公園にも子供を連れて行ったが、私としてはもういいか…という場所だ。
ムスメもたぶん、あと数年で飽きるだろうな。
入場料無料ならお弁当でも食べに寄ろうという気にもなるが、数百円払って入る気はしない。
私にとっては隣りの国営公園はそんな場所だ。
しかし友人はこの国営公園は初体験。
話のタネにどう?と誘いお金を払って入ってみる。
イベントや体験学習が行えるように儲けられた、
建物のロビーの水槽の中を泳ぐ巨大な『信州サーモン』を見ながら
遺伝子操作で自然繁殖はしない魚だというけれど本当だろうか…と考える。

今自然が抱えているいろいろな問題は、なんでも最初は「…はずだ」から始まったことだ。
自然繁殖しないはずだった、逃げ出さないはずだった、
こんな生態だとは思わなかった…では済まされないものが、
そんな可能性を持ってここにこうして生きていて、今も作りだされている。

なんとなくお昼を食べそこねて夕方やっと、蕎麦にありつきながら話し込む。
前々から互いのHPやメールのやり取りで知ってはいたがこの日初めて会った彼、驚いたことに
若かりし頃の私が住んでいた東京都下の某アパートのすぐ近所(たぶん同じ町内)で育ったそうで、
「あそこにこんなケヤキの木があってさぁ」
「あ、あったあった!ブロック塀に埋まってるあれ」
「そうそう〜それから豚小屋があってねー」
「あそれも知ってる・ははははは、いや〜奇遇だねぇー!」
…こんなところでそんな古いローカルな思い出話ができるとは(笑)、意外。

山や川、そしてそこに棲む動くもの動かないもの様々な生き物と人間との共生関係は今、
いろいろな立場の人間や都合や考えがからまって、複雑で難しい問題になってしまっている。
本当はもっと簡単なことなんだろうに、とも思う。

いろいろなことを難しくしてしまっているのは、私たち人間なのかもしれない。
巨大なお盆のようなザルに盛られた蕎麦をややもてあましながら、
私は山の草木の話を、友人は川の魚や虫の話をする。
話している対象は違うが、そこからイメージすることは同じだ。
道ばたに生える一本の草からでも、想像できることは山ほどある。
それは川の中を想像してそこから拡がる世界と同じなんだろう、と思う。

想像力とは時に無駄なものに思えるけれど、そのお陰に気が付くこともある。
私は知らないことが多すぎて、知らなければならないことも多すぎて…
友人と別れた後もしばらく、いろいろなことを考えてしまった山歩きだった。
じねんのことはり
じねんのことはりTOP