悲しいケヤキ      〜p4〜

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「現場」を歩かない「行政」が主導する今の街路樹の管理方法が、「悲しいケヤキ」を生む本当の理由ではないか、と私は思っています。あの厚い「設計書」のなかに細かく書き込まれた項目と数字…その「項目」の仕事を総て完了させて「数字」さえあっていれば確かに工事は完了なのでしょうが、管理者である行政は生きている「街路樹」にさえもそれを当てはめようとしているのでしょうか…。

公共工事の手抜きや仕事のやり残しを避けるためのシステムのはずの、業者が作らねばならない膨大な量の書類や、撮らねばならない何十枚もの写真はいったい何のためのものなのでしょうか。

木一本の価値や、そこにある意義よりも書類上(数字上)問題が無ければ「良し」とする公共工事の矛盾を、悲しいケヤキの姿に見るような気がします。

 

また、環境問題で行政は緑化事業に力を入れている筈(フリ?)なのに、公共工事削減の例に漏れず、街路樹にかける「予算」が厳しい、という現実もあります。(個人的には、山を切り開いて芝を植えた公園を作る予算があるのならそれを街の木々にまわして欲しいものだと思っています)

もともと、作業条件が厳しい幹線道路は人や車の交通整理も必要ですし、危険を伴う高所作業でもあります。人も車も通る場所ですから切り離した枝をほいほいと落とすわけにも行かず…そんな場所に植えられた街路樹一本にかかる経費は想像に固くありません。もしも、その予算を切り詰められたなら…しかもそれが下請け、孫請け工事だったとしたら…。

木の姿を見定めながら行う、手間のかかる透かし・枝抜き剪定よりも、枝をいっせいに筒切りし小枝を刈り払ったほうが確かに「効率」は良い。( 注1樹高や葉張りの寸法さえ設計書と合っていれば、検査も通ってしまうのですから。)

そして昨今ますます厳しい公共工事の予算組みを誰もが肌で感じているから、そういった現状を憂慮している良心のある業者でさえ、どんどん寡黙になってゆきます。良い、悪いと一言では言えないやりきれない現実が、ここにもあります。

太い枝を「ぶつ切り」されたケヤキの姿から、街路樹をとりまくそんな「悲しい」現実が見えてくるようです。

 

街路樹に使える予算や周辺住民のクレームなど、お役所にもいろいろと都合があるとしても、建物や電線の都合で木の高さを定めなければならず、また道路や歩道の広さによって枝張りも抑えなければならないような場所に適さない木を植栽して、予算が無いのを理由に定期的な維持管理(要するに剪定)もせずに、大きくなったから小さくしてくれと言うのには無理があるのでは…、と思います。

さらにいえば、回りに遮るもののない場所のせいぜい4、5メートルの高さの街路樹でさえ、「悲しいケヤキ」になっているのはいったい、どうしたことなのでしょうか…。

この「緑陰道路プロジェクト」。本末転倒にならなければいいのですが…

 

注1:樹高や葉張りの寸法さえ設計書と合っていれば、検査も通ってしまうのですから。

→街路樹の剪定後の「立会いのお役所の検査」は「まず、ない。」とのことです。もちろん仕事がしてあるかどうかは、確認に行くと思いますが。

削除箇所: 仮に剪定工事の剪定後の樹高指定が「5メートル」と設計書にあり 現状の高さが「8メートル」の街路樹を5メートルに剪定しようとした場合(例えば、です。でも無いとも限りません)、枝抜き剪定では高さを詰められないとしたら、単純に考えれば枝先から3メートル下のところを横にぽんぽん切って行けばよいわけです。

→高木剪定の場合、設計書には「葉張りの指定」が入る場合はあっても、「高さの指定」は「ない」とのことでした。

いずれにしても、「その木に合わせた剪定をする」というのが原則らしいですが、現実はその木の「特性や長所」に合わせた剪定ではなくて「近隣住民と電線」に合わせた剪定、という気もします。

2004年11月

山でこそ、の緑陰

 

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