ほんの少し前まで「自然(じねん)」と言う言葉は「おのずからそうあること、本来そうあること」という意味で使われていました。いま山や木や草花を「自然(しぜん)」と呼ぶのは、そんなものから切り離されつつある現代人の言葉のようにも思えます。
「千変万化する物は自然の理(じねんのことわり)なり(万物はみな変化するのであって、それは自然の理である)」とは服部土芳が記した俳人・芭蕉の俳諧論、「三冊子」の一節です。一方で三冊子には「万代不易(ばんだいふえき)あり」と書かれ、一時の変化と「万代不易=永遠に変わらない」は「その本(もと)一つ」とも説いています。
山河や町の風景も私たち自身も、すべてのものは時の流れとともにうつろい、その形を変えていきます。だからこそ、人は変わらずに受け継がれて行く「あり方」を求めるのかもしれません。芭蕉の俳諧論は、理(ことはり)としてさまざまな事柄に共通するように思います。
この言葉を遺した芭蕉の真意を私は想像するしかなく、その奥深さに私の日常が及ぶべくもありません。それでも、時の流れに埋もれて忘れてしまいそうな日々を、ここに書き記しておきたいと思います。
2004年からのブログ記事を移行中です。
私が出会った「仕事びと」たちをご紹介します。
やなぎ・ゆうのエッセイ、松本・昭和の裏町昔語り。
専門誌「庭」に掲載された街路樹関連のエッセイです。