泥だんご


ある夏の日曜日の、我が家の会話。

「ハイお母ちゃん、おみやげ~」
「おお!見事な泥だんご」
「いやぁ何もすることなくってヒマだったからさぁ、公園でK(仲良しの幼馴染)と2人で泥だんご作ったー」
へぇえ。小学校5年生にもなって泥団子を作ってくるとは思わなんだ。

彼女は、ランドセルの中で萎れた桜の花とかスミレの花とか、いいにおいのする葉っぱとか、石ころとか紅葉した落ち葉とか、何かと「おみやげだよ」と学校の帰り道に持ち帰ってくる。ましてや貴重な休日に制作した、手間をかけた泥団子は100パーセント、必ず持ち帰ってくるのだ。

さて持ち帰られてしまったからには、この泥だんごは展示せねばならない。
タタキ締めも乾燥も中途半端な泥団子は、ウッカリするとちょっとした拍子に泥に、というか土に戻る。そのため、これまでは玄関を出たところの軒の下の丸太の上に展示?していた。
それは暫くその場所で鎮座しているが、雨が降るたびに小さくなって徐々に崩壊して土に帰り、そして風に吹かれて消えている。
しかし今回プレゼントされた作品はもしかしたら、というかたぶん彼女の人生で最後の泥団子かもしれない。…そこで、少しでも長く眺められるように玄関の中の棚の上に展示した。
雨に降られることも無いのでほとんど形も変わらず(転がったり何かにぶつかったりして傷にはなったが)、夏に制作された泥団子はついに実りの秋を迎えた。

土をこねる、ということを誰も教えなくても、そこに土と水があれば子供は泥遊びを始める。
そしてお饅頭を作り、さらに丸めて団子にして、何度もこすってピカピカにして、乾燥させて宝物にする。そんな記憶は私にもある。
今は保育園で泥団子遊びを教えるらしい。子供に聞いてみたら最初の記憶はやはり保育園だそうだ。

さて、この遊びの原点とも言える「土をこねて固める」という行為を、人間が経験と研究を重ね生活に生かしたのが、昔ながらの土壁やタタキ(三和土)、漆喰壁などの左官仕事である。
今の左官業はモルタル(セメント+砂+水)を使う仕事が殆どだが、セメントが一般に普及していなかった頃は土や砂、わらなどその辺にあるものが壁や床の材料だった。
土間コン(コンクリート=セメント+砂+砂利+水)は誰しも耳にしたことがある言葉だと思うが、もともとは土で叩き締められた硬い床を「土間」と呼んだ。

土を扱える左官業者や造園業者が少なくなり、そのような「土仕事」を見たことも聞いたこともない、という人もいるかもしれない。
今となっては貴重なのは土や藁(わら)。一方セメントは、どこでも手軽に手に入るからだ。

手間も時間もかかる土の仕事は採算が取りにくく、必然的に工事金額も高価になる。
天候に左右され、湿度や温度によって仕上がりが変化する土の扱いには、長年の経験と感覚が必要となる。天然の材料ほど、その不均一な「くせ」を読まなければならない。
土を使った左官は、マニュアル化が難しい、とてもスローな仕事なのである。
だからそんな仕事を選ぶ施主は少なく、現場が無ければそんな技術を伝える場所も無くなる。
そうして受け継がれられることのないままに、またひとつ大切なものが、過ぎる時代とともに無くなっていく。

さて、そんな今も、天然材料の良さを現代の庭に活かし、使い続ける職人たちがいることを私は知っている。
それぞれ仕事は様々だけれど、昔ながらの技術を現代に生かそうと苦心し、狭い庭の中の仕事では終わらない使命感を持っていることは共通している。

そんな方々が今よりももっともっと活躍できる時代が来ればいいと、私は切実に思っている。



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