Fさんのこと



Fさんからいただいたクレマチス

2005年の1月も半ばを過ぎたその日の朝、電話が鳴った。

「やあ悪いね、突然なんだけど…」と、いつも突然かかってくる社長からだ。
「Fさんね。昨日、亡くなったんだよ。今日がお通夜で…」
私が何度か現場でご一緒したFさんは、酒好きで頬が赤く、笑うと目じりが下がり恵比寿様のような顔になる素敵な職人だ。
入院したと聞いた時は驚いたし、その理由が癌だったことを、私は社長の電話で初めて知った。

前年の夏、大工の経験もあるFさんにウッドデッキの見積をお願いした時も変わりなく(少なくとも私にはそう見えた)お元気そうだった。乗り合わせてきた社長が先に帰ったため、私の車でご自宅までお送りした。その時に話したことが、ぽつり ぽつりと蘇る。
「社長のところも寂しくなりましたね。私が初めてご一緒した時は大勢若い方がいらして、にぎやかだったけど」
と言う私に、Fさんは「いやあ、今は楽だねえか。自分のことだけ考えてらぁいいでなあ。前にくらべりゃ、のんびりしたもんだ。」と穏やかに答える。

たびたび私がお世話になるこの社長は、出会った頃から経営苦で、若い人たちを皆独立させたり仲間へ紹介したりして、いまは一人で仕事をしている。
助けがいる時は、昔の仲間に声をかけると、良くしたもので予定を合わせ集まってくれるのだ。
「それも、そうですね…どこも今は大変だけど…」そういえばFさんとの出会いは、私が初めて設計らしいことをした1997年の庭工事を、この社長にお願いしたことがきっかけだったな…と思い出す。
その頃の社長は、すでにほとんどの職人を外に出し、現場は一人の若者とFさんの合わせて3人の職人たちでの施工だった。それは和風の庭のリフォームで、総重量約14トン、一つの石でも2トン近い巨大な木曽石を組みなおし、石の天地を逆転させ根入れを深くし、洋風のロック・ガーデンに作りかえる、というものだった。
枕木の庭が松本でも流行りだした時で、施主が自身で入手された枕木があり、それを土留めなどに使うことになっていた。
ブロック塀の前に枕木を山形の壁のように立てたい、と言う施主からの希望があり、塀の基礎との絡みがあるので塀にどれだけ付けられだろうか、ということを検討した翌朝、Fさんが開口一番に
「おりゃあ昨日これ(枕木を)、どうやって立ててやらっかと思って寝なんで考えてただよぅ」と言って私の顔を見て笑った。
それはもちろんFさんの軽口なのだが、その時私はとても嬉しかったことを覚えている。経験豊富な職人たちから見れば、30過ぎていても私なぞは「たかが小娘」である。だが職人たちは少しでも良くしようと考えてくれているのだ、と思ったからだ。
この時すでに70歳を越えていたFさんは、2メートル近いブロック塀の上をするすると歩き、3人のなかで一番身軽な技をたっぷりと見せてくれた。小柄なFさんが枕木を抱くと、どっちが立っているのかわからないくらいだった。
「こんなものをこんなとこで抱っこしてちゃあいけねえなあ。」そう軽口を言って笑うFさんはとてもかっこよく、私は彼の一挙手一投足に、惚れぼれと見とれていた。

どちらかと言うと現場では邪魔にされる私に、一番気軽に話をしてくれたのもFさんだった。
掘り返して見るとその現場は川原石が多く、これを集めることから仕事は始まった。
工程の中に無い作業が増えたことで焦っていると、ミニバックに乗った社長が地面に転がり出た手のひらほどの石をバケットで拾い、わざわざ私のところまで運んできてそうっと目の前に置いて行く。わけがわからず、
「なに?ねえFさん、石を拾えってことかな、社長ったら嫌味」と言うと、
「大きい石を拾う(バケットで)のは案外わけもねえこんだが、ああいうちっちぇえ石ってのはうまい奴でねえと拾えねえんだ」
と教えてくれた。なるほど社長は、気を使って無駄な仕事に汗を流す私に、お茶目なところを見せて慰めてくれようとしたのだった。…この時の私は本当に、現場のことも、職人さんの気持ちも、何一つ知らなかった。
「あいつは(社長は)おっちょこちょいでなあ。雨の日にわかってるだに、いきなりバック(バックホー)に乗るだよなあ。『あっ、ちべてえ』ってな、しょっちゅうだ。」
重機はどれもみな骨董品で、破れたシートの隙間から滲み出た雨水が社長のお尻を濡らすのだった。そして、そう言って笑うFさんの顔はとても優しかった。Fさんから見れば、社長も自分の息子のような存在だったのだろう。

とりとめのないことを考えながら、葬儀場へ向かったその日は今にも雪が降りそうな、とても寒い日だった事を覚えている。
Fさんの写真に手を合わせ、焼香してふと見ると、写真の中のFさんはあの時のあの笑顔のままで、私は出てきそうな涙をこらえた。
「さっちゃん、泣くな。おれはだいじょうぶだ。これでやっと、ばあさんに会えるでなあ。」
Fさんの懐かしい声が聞こえてくる。私はFさんを忘れません、ずっと覚えていますよ。

まだ捨てられない、小さな小さな新聞の切り抜きがある。
2005年1月16日 享年 76歳 元奈良井営林署勤務

Fさん、お疲れ様でした。ちゃんと言ったことがなかったけれど、Fさんにはいつもいつも、とても感謝していました。
私もいずれ会いに行きますから、ちょっと待っていてね。その時は一緒に、お酒を飲みましょう。


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